順風通信(支部通信)

「順風通信」は日中友好協会・群馬県連合会前橋支部で発行している定期通信です。

こちらではその記事の一部を紹介していきます。

「りゅうりぇんれんの物語」、コンサートを終えて-2012.4.5 第57号記事より

 

歌手・沢知恵(さわともえ)さんを知ったのはいつの頃だったのか。

 

県民の会副代表の山田和夫さんが、詩・茨木のり子、歌・沢知恵の「私が一番きれいだったとき」のCDをダビングし、国会議員・企業への要請行動で東京へ行く度に街宣車の中で配っていた1枚をいただいたのがきっかけでした。

 

昨年2月、障害児の親たちが主催したコンサートを聴きに深谷の会場へ。

その時の沢さんの印象がまだ強烈に私の中に残っています。

出だしの「アメイジング・グレイス」を歌っていた時の伴奏は、会場内を走り回る子供たちの足音・奇声。喧騒をものともせず静かに歌い終わった彼女は、「気にしないでください。子供たちのあの雄たけびは、私への激励だと受けとめています」。

凛とした中に深い優しさを感じさせる女性でした。 

 

 

 直後の31日、最高裁は中国人強制連行群馬事件の原告の控訴を棄却します。裁判は完全に終わりました。毎月の東京への要請行動、株主総会での発言行動、他にどんな闘いを進めたらよいのか、幹事会の中で話し合われていました。山田さん、今度は茨木のり子が朗読のために作った詩に、沢知恵がピアノで弾き語っているテープを配り始めました。これが「りゅうりぇんれんの物語」との最初の出会いでした。

 

 「りゅうりぇんれんの物語」のコンサートを通し、強制連行の非人間的な行為を人々に訴えられるのではないか。幹事会の中で山田さんが提案しました。

私は県民の会主催で開催したいと思いましたが、それぞれの人がいくつもの団体で活動し、忙しさの中でコンサートの企画・実現など無理だと思ったのは仕方のないことでした。やや強引な滑り出しでしたが、山田さんと実行委員会を作るために動き出しました。

 

しかし、やはり今まで闘ってきた仲間です。県民の会幹事をはじめ、沢山の方が手を差し伸べてくれました。チラシ・チケットをデザインしてくれた永井正取さん。強矢義和さんは破格の安さで印刷を引き受けてくれました。チケットも、伊勢崎、前橋・高崎を中心に多くの方の奮闘で開催3週間前には売り切れていました。当日も雨の中、駐車場係を引き受けてくださった方、プラカードを作ってくださった方、本当に感謝の連続でした。

 

 私の方は、もっぱら沢さんのマネージャーとの細かい打ち合わせとチケットの集計を担当していました。マネージャーの矢野正子さん、彼女は聴覚に障害を持っています。電話でのやり取りは一切できず、メールでの往復は50通を超えました。同じく聴覚に障害を持った孫の将来を心配していた私にとって、沢さんの片腕として誠実に仕事をこなしている矢野さんに出会えたことは(メールを通してですが)、とても嬉しい出来事でした。

 

 

 

 当日310日・伊勢崎市福祉プラザ、雨の中を沢さんと音響エンジニア・アシスタントが到着。コンサートがどんな過程で始まるのか、初めての経験で興味津津でしたが関係者以外はシャットアウト。音響機材据え付けと同時進行でリハーサルはたっぷり2時間。昼食を終え、戻ってきた彼女の衣装を見て唖然。白装束(?)に黒いぺたんこ靴。しかし、聴き進むにつれ内容と段々マッチしてきてステキでした。コンサートに関しての彼女の希望は、陰マイクの諸注意は最小限。終わった後の放送は一切なし、というものでした。

 

聴き終わった後の余韻を大事にしてほしい。

彼女流の「りゅうりぇんれんの物語」に対する強い思い入れを感じました。私は1時間半の間、舞台袖でずっと彼女を見つめていました。拍手の中、「何回演じても涙が出てきてしまうの」と泣きながら戻ってきた彼女に抱きしめられた時、肌のぬくもりを感じながら私も泣いていました。20024月、前橋地裁に提訴した時から裁判支援に関わってきた一人として様々なことが頭の中をよぎっていました。

 

思わず、「私たち、10年間たたかってきたんですよ」と言ったら、

「まだ終わってないわよ。私はいつの日か、中国でりゅうりぇんれんの物語を演じるわ」。

 

そうだ…。終わってないんだ…。

 

 

 翌311日は東日本大震災からちょうど1年。

津波で命を落とされた草刈ひろみさんが遺されたピアノでのコンサートを教会で開くとの事(沢さんはクリスチャン)。「何を歌うかまだ決めてないの。ピアノに歌わせてもらうわ。」との言葉を残し、機材撤収後、音響エンジニアと共に宮城県名取市へと車で向かわれました。

 

 最後に、県民の会幹事・今回も実行委員として活躍してくださった伊勢崎の梅澤正紘さんの感想文を紹介します。「ばかやろうー!このひとことで私の体内の血が一斉に動き出した。私は興奮状態になった。興奮は、わが国の歴史に対する怒り、悲しみであり、拉致され、労働を強いられ、逃げだし、山中を13年も隠れ回った劉連仁の怒りと悲しみ、生きたいという願望とひたひたと押し寄せる絶望感でもあり、作者・茨木のり子の怒りと絶望を乗り越え、人間を愛する渾身の叫びでもあり、表現者・沢さんはこれらの沢山の心の躍動を伝えてくれたことでもある。ありがとう。これからも感動を求めて生きていきたい。」

 

(実行委員会 事務局 飯塚由美子)

 

沢知恵(さわともえ)オフィシャルサイト http://www.comoesta.co.jp/